【武田の里探訪】「鰐塚」に葬られていると伝わる武田武王を祀る武田廣神社

ノーベル「医学・生理学賞」受賞の大村智博士揮毫の額束が

積雪の翌日、端正な一本桜として広く知られた韮崎市の「わに塚の桜」をEOS 6D MarkⅡで撮影。

その折、「わに塚の桜」を望み、「わに塚の桜」の駐車場に隣接した神社にも足を向けてみました。

駐車場から見える神社は新しく造られたもののようですが、手前の石造りの鳥居が古く歴史あるもののようで、「わに塚の桜」にもほど近かったからです。

石の鳥居の前に立つと、神社の屋根には赤い塗りを背景に、金色の武田の家紋の武田菱がくっきりと見えます。

石造りの古い鳥居と新しい白木の社殿の対比が印象的

石造りの古い鳥居と新しい白木の社殿の対比が印象的

樹齢の高そうな桜を背景に、雪を被り氷柱のできた山門

樹齢の高そうな桜を背景に、雪を被り氷柱のできた山門

歴史を感じさせる境内の佇まいの中に新しく再建された社が

歴史を感じさせる境内の佇まいの中に新しく再建された社が

真新しい白木で建造された神社の前に進むと、2015年にノーベル「医学・生理学賞」を受賞された大村智博士揮毫の額束が掲げられていました!

神社脇にはこの武田廣神社の由緒が記載されています。

意訳すると以下のようでしょうか。

甲斐の国を治めたという、日本武尊の御子である武田王の居館は「桜の御所」と呼ばれた。

武田王は亡くなると鰐塚に埋葬され、また、館跡には霊廟が建立され、王は霊廟に武田武大神として祀られた。

この霊廟が武田廣神社の起源だと伝えられている。

神社は氏子の間では廣神社と呼ばれ、天文11年(1542年)、武田信玄によって信濃の国の諏訪大明神を勧請合祀してからは、諏訪神社と呼ばれるようになった。

拝殿の老朽化に伴い、平成28年に新築と同時に本殿の修復を行った。

社名は、主神の武田武大神と永年呼び習わされてきた廣神社にちなみ、「武田廣神社」と改められた。

わに塚の桜を望む真新しい白木の神社は、武田の里の歴史ロマンにあふれた由緒ある社でした。

武田の里の歴史を一コマを紐解くことができ有意義でもありました。

 

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