【武田の里探訪】歴史ロマンに満ちた韮崎市・新府城跡

新府城跡本丸跡に建つ藤武神社。武田勝頼が築城の折、祀ったものは落城の折に焼失したが、徳川氏が再興させた

新府城跡本丸跡に建つ藤武神社。武田勝頼が築城の折、祀ったものは落城の折に焼失したが、徳川氏が再興させた

築城わずかにして武田勝頼自ら火を放ち、武田氏最後となった悲運の城跡

昨年、初めて訪れた新府桃源郷。

近くに武田勝頼の悲運の城、新府城跡があることはわかっていましたが、時間の関係で、行くことができたのは、今年、新府桃源郷がモモの花盛りになった折でした。

所在は、韮崎市中田町、新府桃源郷に至る県道17号線(七里岩ライン)沿い。

藤武稲荷神社に至る急な石段を登っていくと、武田勝頼が新府城築城に際して鎮守として祀ったという藤武稲荷神社があり、その奥に本丸跡が見えてきます。

藤武神社の鳥居。神社の奥に本丸跡がある

藤武神社の鳥居。神社の奥に本丸跡がある

藤武神社拝殿

藤武神社拝殿

藤武神社舞殿

藤武神社舞殿

モモの開花時期は、ソメイヨシノの開花時期より平均的に若干遅いのですが、モモの品種の関係か、今年の気候の関係か、新府城跡本丸跡のソメイヨシノはまだ見頃。

そのたたずまいは、織田信長に攻められた武田勝頼が、築城後わずか68日で自ら火を放ったという悲運の歴史を伝えているようで、感慨深いものがありました。

物悲しさも伝えるような本丸跡のソメイヨシノ

物悲しさも伝えるような本丸跡のソメイヨシノ

国の史跡に指定、「真田丸」のロケ地にも

「人は石垣 人は堀……」と生涯、城を築かなかった父・武田信玄の信念を受け継いでいるのかもしれません、新府城は石垣のない平城で、七里岩を天然の要塞として、防衛のために緻密な設計がされています。

大河ドラマ「真田丸」のロケ地としても使われたという新府城跡は、1973年に国の史跡に指定。

本丸跡には、藤武神社のほかに、武田勝頼公霊社と武田十四将霊碑なども築かれています。

武田勝頼公霊社と武田十四将霊碑

武田勝頼公霊社と武田十四将霊碑

武田家を代表する甲州流築城術の集大成

保存のために公有地ともなった城跡は広大で、二の丸・三の丸とたどっていくと、数々の防衛施設跡をつぶさに見ることができます。

二の丸跡

二の丸跡

新府城跡乾門二之門跡

新府城跡乾門二之門跡

乾門二之門跡の下は天然の要塞、七里岩

乾門二之門跡の下は天然の要塞、七里岩

井戸跡。上端の直径が32mもあるすり鉢状の窪地で、七里岩大地の堅い地盤を利用して、浸み出した水や雨水を集める構造であったと考えられている

井戸跡。上端の直径が32mもあるすり鉢状の窪地で、七里岩大地の堅い地盤を利用して、浸み出した水や雨水を集める構造であったと考えられている

木橋の橋台

木橋の橋台

大手丸馬出しからは条件がよければ富士山も見える。大手丸馬出しは、外側に三日月形の空堀を掘って真正面からの侵入を防ぎ、左右の通路に散らした敵を攻撃する造りになっている

大手丸馬出しからは条件がよければ富士山も見える。大手丸馬出しは、外側に三日月形の空堀を掘って真正面からの侵入を防ぎ、左右の通路に散らした敵を攻撃する造りになっている

丸馬出しの下に造られた三日月堀跡

丸馬出しの下に造られた三日月堀跡

西三の丸跡

西三の丸跡

東三の丸跡

東三の丸跡

大手枡形虎口。新府城で最も大きな虎口(出入り口)

大手枡形虎口。新府城で最も大きな虎口(出入り口)

南北7-8キロ、東西2キロと大規模でもあり、武田家を代表する甲州流築城術の集大成とも言われるゆえんが、訪れてみて実感できました。

歴史好きな人はもちろん、そうでない人も行ってみる価値のあるスポットだと思います。

大手枡形虎口付近にはたくさんのジュウニヒトエが咲いていました

大手枡形虎口付近にはたくさんのジュウニヒトエが咲いていました

本丸跡から望む八ヶ岳とと新府桃源郷

本丸跡から望む八ヶ岳とと新府桃源郷

参考

新府城跡・地図

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