
大手門東史跡公園を望む高台からは、躑躅ヶ崎館跡と甲府盆地、富士山に並ぶ山並を一望できる
甲府市北部・相川扇状地上、古府中に位置する躑躅ヶ崎館跡は、甲斐の国の守護であった武田氏が信玄の父・信虎の代となった折、石和に近い川田から本拠地を移し、拠点とした場所です。

躑躅ヶ崎館跡に築かれた武田神社入り口の神橋と参道の一の鳥居
それを機に、大規模な城下町の整備を開始し、甲斐の府中・甲府が誕生。
信玄の代となり、館や城下町の規模や機能が拡大・充実したということです。
躑躅ヶ崎館は、詰城である要害山城を含めて、信虎・信玄・勝頼の3代・60年間に渡って府中として機能し、近代以降の甲府市の原型となっています。
武田家が織田氏によって滅ぼされ、徳川家康の治世となり甲府城が築城されると、躑躅ヶ崎館は機能を失い、年月を経た1919年(大正8年)に武田信玄を祀る武田神社が跡地に創建されます。

武田神社・拝殿。外国人観光客も次々に訪れています
躑躅ヶ崎館跡はその価値の高さから「武田氏館跡」として国の史跡に指定されています。

「姫の井戸」。武田信玄の息女誕生の折、産湯として使われたことから命名された

「甲陽武能殿」。武田氏の軍学書「甲陽軍艦」にちなみ命名された、能楽や神楽演武などの芸能の演じられる建造物
2019年1月1日は信虎が甲府に拠点を構えてから500年になるというので、静かな盛り上がりを見せつつある甲府。
7月下旬、武田氏ゆかりの躑躅ヶ崎館で蓮の花が咲いているという情報があり、訪ねてみました。
蓮の花が咲いていたのは、武田神社の東側にある大手門東史跡公園のお堀の跡。
武田神社には何回も訪れたことがありましたが、史跡公園ができていることは初めて知りました。

復元された大手石塁

厩跡(うまやあと)
蓮の花は早朝に開き、午後には閉じてしまうので、午前中の早めに時間に到着。

土塁と武田神社の杜を背景に咲く蓮の花々
史跡のお堀跡に咲く蓮の花は、歴史ロマンを感じさせ、風情がありました。

富士山を背景に。武田信玄も富士山のこの景色を見ていたことでしょう
朝から猛暑でしたが、その一角には雅やかな風が吹き渡っているようでした。

武田神社内の土塁の前の白鳥。不思議なコントラストです

2羽で休んだり、草を食べたりしていました
参考 躑躅ヶ崎館跡 地図
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